
吉野柳の由来
平成二十九年、私達は厳かで人々の心に響く音楽を奏で唄いたいと思いました。
この頃、愛犬たちを連れて宇治の柳山を散歩中に、浮かんだ よしやな、ヨシヤナという言葉がありました。
また、柳山の許波多神社の旧社地には立て札があり、壬申の乱(六七二年)の起こる少し前、大海人皇子(天武天皇)が大津宮から吉野へ帰る途中に、この神社に参詣し、鞭にしていた柳の枝を土に突き刺し、自分がこの戦いに勝ち、皇位についたなら、この柳の枝はきっと芽を出すだろうと仰せられたと、記されています。
私達は、雅様という音楽を神社で奉納し、人々に喜ばれたいと願い、前述より文字を頂戴して、音楽ユニット「吉野柳」(よしやな)と名付けました。
記念すべき初めての奉納唱歌は、平成三十年二月十七日に許波多神社にて権宮司さま他皆様の御理解と御協力を頂き、実現致しました。
その後、神社報にも掲載して頂き、関係者さまに深く感謝申し上げます。
令和元年八月二十四日
吉野柳
があり、壬申の乱(六七二年)の起こる少し前、大海人皇子(天武天皇)が大津宮から吉野へ帰る途中に、この神社に参詣し、鞭にしていた柳の枝を土に突き刺し、自分がこの戦いに勝ち、皇位についたなら、この柳の枝はきっと芽を出すだろうと仰せられたと、記されています。私達は、雅様という音楽を神社で奉納し、人々に喜ばれたいと願い、前述より文字を頂戴して、音楽ユニット「吉野柳」(よしやな)と名付けました。
記念すべき初めての奉納唱歌は、平成三十年二月十七日に許波多神社にて権宮司さま他皆様の御理解と御協力を頂き、実現致しました。
その後、神社報にも掲載して頂き、関係者さまに深く感謝申し上げます。
令和元年八月二十四日
吉野柳